心の旅・遠くへ行きたい2

アクセスカウンタ

zoom RSS 東北へ1000kmの旅 No4 届かない義援金

<<   作成日時 : 2011/05/26 23:56   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

民宿を8時に出発して釜石に入りました。
まずはボランティアセンターに集合して、ボランティアの4つの心得を読むことから始まります。

担当者からの指示がありました。
これから入る予定の雇用促進住宅では、明日生活応援物資を無料で配布するので、その案内と入居者からアンケートをとって欲しいとのことでした。


被災者の人たちとお会いして、今時点の問題点をお聞きしました。
その中で驚いたのは2ヶ月にもなるのに、未だに国からお金が払われていないことです。

体育館などに避難所生活している人には、食べるものなど必要なものは支給されているのに、避難所を出た人たちには何ら手当がない。

今回訪問した雇用促進住宅には、4棟160家族が生活されておられますが、家におられた方にお話を伺いました。
そのうちの一部ですがお聞き下さい。


住宅ローンの悩みを始め、生活していくためには日々の生活物資は買う必要があるなど、未だにお金が貰っていないなど、貴重なお話を伺いました。







また津波が押し寄せたときの状況も詳しくお話しされて、生死の境はホンの一瞬だったことを話されていました。







日赤を通じて世界中から義援金が集まっていますが、そのお金がいったどうなっているのか、何故早く被災者の手元に渡らないのかなど、国の怠慢が凄く気になるところです。


画像



生活応援物資はまだまだ必要です。
季節は春から初夏に変わりました。

冬物は余るほどあるそうですが、夏物やL寸LL寸などの服や下着が足りません。
尿漏れパンツも欲しいと言われています。

ワテが住む町も行政として救援物資を集めていません。
個々の家が物資を提供するとバラバラのものが集まるため、整理するのも大変とか。


救援物資も避難所に入っている人だけに渡るんじゃなく、全ての人の手に渡る手だてが必要だと痛感しました。

がんばろう東北
がんばろう日本

自分の出来ること
ここに来てブログを読むだけでは力になりません。
それはブログで発信することであり、コメントを書くことだと思う。

まだまだ長く続く道のりです。
多くの人の励ましが望まれます。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!) ガッツ(がんばれ!)
ナイス

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
風丼♪たくさんお疲れ様でした。

本当に義援金というものは やはり少しばかり思っておりましたが
みんなにまだまだ行き渡ってないんですね。。。。。
テレビとかでは渡す場面とか放送されますが 実際はというと・・・・

たくさんの方達が不自由な生活を苦しい生活を続けているんですね

風丼♪よくぞ東北の方達と会話を上手に出来ましたね
東北の方もわりと標準語でお話なさってるからわかりますが。。。
方言が出たら全くわからないことかと思いますが 本当に上手に会話をなさってます
みなさんは聞いて欲しいんですね いっぱい云いたいことがあるんですね
風丼♪にお話きいてもらって嬉しかったことでしょうね☆


本当にお疲れ様です
    はい あじ丼
紫陽花
2011/05/27 23:26
あじ丼〜今晩は
テレビと実際とでは随分違うものがあります。
遅れている原因の一つに役場が流されたとか、住民台帳がなくなったりとか、職員も震災でなくなっており、行政が麻痺していることも一因です。

テレビ向けに手渡す場面も写していますが、それは被害が少なかったところじゃないかなあ
救援物資も避難所では山積みになっていても、仮設住宅に入居している人たちには、物資が回ってこないなど、困っている人には平等に渡して欲しいものです。

今回被災者の方にお会いして、何か欲しいものはないかとお聞きしたら、尿漏れパンツやL寸の下着が欲しいとのことでした。
早速車でドラッグストアーに行って調達して渡しましたが、お渡ししたお婆ちゃんはえっホンマに買ってきてくれたんだと大喜びでした。
車もない人にとって町のスーパーは遠くて、なかなか買うことが出来ません。

方言のきついおばあちゃんが一人いました。
半分くらいしか分からないけど、それでも何とか話が出来ました。
ドアをノックして訪問したら、ほとんどの方が大阪から来たと言えば喜んでおられました。

これまでは漁村でコミュニティーもあったはず、鉄のドアを閉めればそこは閉鎖社会。人が訪問することもなくなり、ボランティアの人であっても訪問してお話を聞いてあげること、これがとっても大事なことでした。


全部が全部じゃないと言うことがよく分かります。
風の旅人
2011/05/27 23:45

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
東北へ1000kmの旅 No4 届かない義援金 心の旅・遠くへ行きたい2/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる